住まいの論点 住宅政策や制度に関する論点と主張

住まいと現代社会

住宅から見た社会のあるべき姿とはどんな姿でしょうか?あなたにとって住まいとは何でしょうか?

住環境は現代社会が抱える様々な問題の根源に位置していると言っても過言ではありません。

核家族化、コミュニティの崩壊、少子化、子供の家庭教育、社会への女性の進出、老人介護、高齢者社会、家族の問題、環境への対応、都市のあるべき姿、ライフプラン、災害対策など多くの問題は住宅をとりまく環境と社会の相互作用の中で、住環境が変われば日本の社会も将来あるべき姿に変わってゆけるのではないかというほのかな期待を感じるところです。

住まいの本来の姿であるシェルター機能の原点に戻って、子育てと子育ち、生きる力を育む家、そして家族、地域から社会全体への広がりを考えると住まいは耐久「消費財」ではなく貴重な社会「資産」として
捉えることが大切だと思います。現に住宅はいつも社会のテーマの中心に位置しています。地球環境、コミュニティの再生、少子化、教育問題、高齢社会、安全・安心など昨今の地球規模的な課題はすべて住宅に関わってきました。そしてこれからも同様であり続けるでしょう。

その意味で平成18年6月施行の「住生活基本法」で「量から質へ」や「ストック重視」への住宅基本政策の転換は生活の質を高める可能性を現実化するもので高齢化社会への対応に大きな期待がかけているところです。

なぜ日本人はいつまでも豊かになれないのか?

民主党は3月30日、議員会館で野村総合研究所のリチャード・クー主席研究員を招き、「住宅政策と内需拡大」をテーマに政策研究会を開き、今夏に予定される参院選に向けてのマニフェストづくりを本格化させた。クー氏の講演の趣旨を下記します。
  1. 日本は今こそ「住宅」を中心とした内需主導型経済に転換する必要がある。
  2. デフレギャップが続く現在、規模の面で住宅に一番大きなポテンシャルがある。
  3. 日本では住宅は15年程度で減価償却する耐久消費財扱いだが、日本以外の国では全て資本財扱いである。その結果、日本では金をかけても何も残らず、毎年20兆円づつ価値が失われている。欧米流に「富の上に富を創る」という基本に戻るべき。
  4. 地価の上昇局面では、住宅価値が減価しても全体では問題がなかったが、今や地価の上昇は期待できないばかりでなく、良質なストックを充実させるには逆に地価の上昇は邪道。
(住宅産業新聞 平成22年4月7日号より抜粋)

この考え方を民主党の住宅政策にしっかりと反映させ、低成長の経済でも豊かさが実感できる社会を築き上げてほしいものだ。100507

レポート:cs なぜ日本は豊かになれないのか?日本の住宅事情からの考察(リチャード・クー 佐々木雅也)2011/12/22
平成20年6月に初版されたリチャード・クー氏による「日本経済を襲う二つの波」(徳間書店刊)の終盤に衝撃的なタイトルの一章がありました。その内容はなぜ日本はこれだけの経済大国なのに、国民は豊かさを実感できないのか?という素朴な疑問に答えるものです。詳しくは、同書をお読みいただきたいが、私なりの独断と偏見の要約を下記します。ポイントは「住宅は耐久消費財でいいのか?」という質問です。
  1. グローバリゼーション社会のなかで、住宅需要という極めて貴重な内需振興と雇用創出手段を政策に取り入れていただきたいものだと痛感する。キーワードは、住宅を耐久「消費財」として扱う資源浪費国ではなく、「資本財」として次世代に継承できる社会体制をつくること。それには、住宅ローンのありかたや土地税制、建築関連法制など広範囲に及ぶ改革を要するものである。
  2. ヨーロッパへゆくと、みんなが本当に優雅に暮らしているので羨ましく感じることが多い。緑の公園と立派な家、ゆっくり寛げるカフェなど枚挙に暇がない。アジアの諸国も同様である。しかも、年々豊かになっている。ドイツは、戦後は日本と同じ焼け野原だった。ところが今は素晴らしい。それに引き換え、日本は電信柱が林立するゴミゴミとした街並みがのこり、家もどこか薄っぺらい。この差はどこからきているのだろうか。
  3. そんななかで、私は最近日本には基本的に大きな問題が一つあることに気がついた。日本は、富の上に富みを築くことができないシステムになっているという問題である。日本だけが「住宅」もクルマと同じように「耐久消費財」として扱われている点である。他の国では、建てられた家は半永久的にもつ前提で建てられている。しかも、その値段は住民がいる限り下がらない。つまり、彼らにとっては住宅は貯金代わりの「資本財」なのである。だから、人々はその上に付加価値をつけて、評価を高めてゆく。お金をかけても、それは無駄遣いにはならずに、それに見合ったリターン(売る場合は評価が上がる)があるからますます頑張る。社会全体がそうした投資をすれば、国民がだんだんリッチになってくる。
  4. 税制面からみると、日本では建物(上物)は15年で評価がゼロとなるが、時価はそれ以上の速度で毎年1/12づつ失われて(減価)いる。ここ数年、日本の年間の住宅建設費は約20兆円なので、トータルで見ると毎年ほぼ同額の富がドブに捨てられている勘定だ。諸外国が毎年富を積み上げているのに、その差は大きい。実にGDPの4%に相当する。
  5. 日米の新規住着工率をみると、アメリカでは過去20年間、人口が年間で250~300万人増えているのに対し、住宅着工は150万戸前後であった。ところが日本は人口増加はここ数年ほぼゼロなのに、住宅着工は毎年100~150万戸ある。人口が増えていないのに、これだけ建っているということは、ほぼ同数の住宅が壊されているか、放棄されていることになる。日本は世界一の省エネ国だが、こと住宅資産では世界最大の資源浪費国である。
  6. 毎年の経済活動をフローでみるGDPは毎年伸びているが、国民にその実感はない。その背景には、これまで建物の減価を地価の上昇が補ってきたという構図が壊れてしまったことが効いている。バブル崩壊前は、毎年30兆円の住宅建設。10年で300兆円、50年で1500兆円の資産が蓄積されたはずだが、毎年ドブに捨てていた。しかもマーケットがそうなっているので、経年変化に耐えることのできる立派な家をつくろうというインセンティブまでなくしてしまい、30年経ったら建て替えようの発想で家を建ててしまった。
  7. 日本の建築技術は耐震構造も含めて一流なのに、住宅をフローでしかとらえられなければ永遠にリッチな生活はできない。しかも、1990年代のバブル崩壊までは、国民の所得水準に比してあまりにも地価が高かったので、建築物にお金をかけられず、結局狭い粗末な家にしかすめないという大ダメージを被る結果になってしまった。
  8. こうしてみると、日本人がリッチな生活を手に入れるには、二つの政策が必要だということになる。一つは地価が安易に上がる要因を排除すること。容積率や建ぺい率の制限を緩和して土地の利用効率をあげることと、借地借家法などの法的環境を整備することだ。二つ目は良質な住宅建築を促進すること。認証制度を設けて、耐久性や維持管理性の高い住宅の供給を促す制度の創設である。
  9. 日本人はその所得水準に比べて住宅環境にまだ大幅な改善余地があり、その意味では良質な住宅に対する需要は無限にあるはずである。そこから生じる内需は、グローバリゼーションの大波にゆれる日本経済にとって極めて貴重な内需を提供することにもなる。この土地と住宅に関するパラダイム・シフトは、官民力を合わせて早急に取り組むべき課題である。
  10. 少子高齢化社会の到来した現在、立派なストックができていさえすれば、家の建替えの負担から国民を開放されて十分リッチな生活を送ることができる。「世界最悪」と言われる非効率な土地利用と「先進国最悪」の日本の住宅環境は、このパラダイムシフトで解消ができ、国民は欧米諸国にひけをとらないリッチな生活を享受できるようになるだろう。

資産価値を支える住宅ローン

住宅ローンの基本コンセプトは建物と周辺地域の総合資産価値(米)

2008年の米国の住宅危機や金融危機を招いたのが悪名の高い「サブプライムローン」(信用力の低い個人向け住宅融資)であることには相違はないが、かといって従来の米国の住宅システムや住宅行政がすべて悪かったのかといえば、決してそうではないと思います。米の住宅危機は、虚業にうつつをぬかして住宅ローンを弄んだ一部の金融界がもたらしたものです。

日本の住宅行政は昭和30年代に始まる持家政策で、量の確保を政策目標としてきました。そこでは住宅産業の健全な育成の観点から、住宅金融公庫を中心とする固定低金利ローンを拡充させて需要喚起を図るとともに、金融機関のリスク回避のため住宅と土地に担保を設定した上、更に火災保険や生命保険に質権を設定、たとえ家が消滅してもローン返済の義務は借入をしたローン債務者が負う方式としました。

日本の新築住宅の多くは、購入した途端、すでにその資産価値は1~2割下がっています。生涯賃金の数割に及ぶの巨額長期ローンを組んで購入した住宅だが、ローンを払い終える頃には資産価値はほとんどゼロに近くなって定年を迎える。今更建て替えが出来るほどの甲斐性もないので、不便を感じながらもプレハブ住宅に住み続けざるをえないというのが現状。リフォームするにも、躯体の補強や屋根壁の断熱リフォームにはかなりの出費が伴い、結局壊して新築した方が安上がりなどということになる。エネルギーや資源、廃棄物が及ぼす地球環境への負荷の視点からも、壮大な無駄である。長寿命化社会を迎える経済大国日本の住宅としては、あまりにもわびしい。なぜ、こんなことになってしまったのか、納得のゆかない人も多いはず。

ところで、この制度を支える日本式住宅ローンは、日本では常識ですが、世界の視点ではかなり変則的で特異な制度です。

米国では住宅ローンはほとんどがノンリコース方式、つまり借主責任限定型。仮に、生活が苦しくなって月々の返済もままならなくなれば、住宅をローン会社に譲り渡してさえしまえばローンの残債を払う必要がなくなるというもの。この点が日本とでは最大の相違点。日本型の住宅ローンはリコース型なので、借入残高より低い価格でしか住宅が処分できなかったら、差額を払い続けなければならないローン地獄に陥る。最後の手段は自己破産しかないという惨状。ローンを苦に自殺などという悲劇が年間でおこるのは、いわば日本独特の社会現象である。年間一万人といわれる「経済的理由」による自殺のなかには、住宅ローン苦によるものも多数含まれているはずだ。海外からみれば、借入者に生命保険加入を強制して、こともあろうに質権を設定する日本のやり方は、ローンの担保に命を差し出せ、というに等しい野蛮で非人道的なやり方としかうつらない。

ノンリコース方式だと、ローンの担保は住宅だけなので、生命保険や連帯保証人は不要。その代り、金融機関は対象となる住宅の将来価値に比べてとローン金額が妥当かどうか、つまり債務不履行(デフォールト)となってもローン債権の回収がきちんとできるか慎重に審査する必要があります。審査にあたっては、新築も中古も公の評価組織と専門家が協議して融資額を決める仕組みになっているので、健全な中古住宅市場が育つ土壌ができたのでしょう。住宅のメンテナンスをきちんとして、資産価値が上がれば購入者の特になり、追加のローンも組めるので自然と住民が連帯して周辺環境の整備にも力が入り、自主ルールをつくり、それを守る住民コミュニティが多くの社会問題を解決する原動力になったといえるでしょう。

日本の場合、融資額は不動産価値よりも「借り手の収入」と「勤務先」が重視された結果、将来の売却価値という市場価格ではなく、借入ができる金額で物件価格がきまってしまっています。しかも、住宅は償却資産とされていますので、築後10年もすればほとんど資産価値はゼロ。壊して更地にした方が高く売れるような環境では、老後や将来の不安から余裕の現金は貯蓄に振り向けるようになるのは当然のこと。産業金融資本の充実が危急の課題であった昭和30年代ならばいざしらず、平成21年の現代では違うような気がします。

安直に住宅ローンをノンリコースにせよと主張するつもりもありませんが、今回のサブプライムローン問題を引き起こした金融界のモラルハザードを再発させないような仕組みさえできるならば、金融機関が独自にノンリコース方式を住宅ローンの選択肢の一つにするのもいいことではないでしょうか。建築関連の法整備を図った上で、社会基盤の整備要請と金融資本の論理を整合させ、街並みという社会資産価値の向上と地域コミュニティの再生をはかるという視点もあながち不可能だとはいいきれないのではないでしょうか。

この考え方は、国土交通省が提唱する200年住宅の普及促進にも密接な連関をもつものだと思います。

(この記事は日経ビジネスオンラインに掲載の澁谷征教(しぶや・ゆきのり)氏が執筆する「日米住宅漂流記」を参考にさせていただきました。大変示唆に富む記事で感銘しております)

ノンリコースローン

支払が滞った際、その返済が担保の範囲内に限定されるローンのこと。自宅をノン・リコースローンで購入した場合、返済に窮すれば自宅を手放せば、それ以降は残債の返済義務を免れることになる。通常のリコース・ローンでは、自宅を売却しても、残債に満たなければ差額を引き続き返済しなければならない。

このローンに内在する問題は、住宅価格が下落して自宅の価値がローンの残額を下回ると、自宅とローンの両方を放棄する債務者が増えるので、住宅市況の悪化により金融秩序の破綻への流れを加速することである。2009年に発生した米国発のリーマンショックは、サブプライムローンというノンリコースローンが引き金になった。 

リバースモーゲージ

 自己所有の住宅を担保に金融機関から融資を受け、本人の死亡時にその資産を売却することで融資を完済する仕組みのこと。主に、高齢者が老後の生活資金を確保するために利用するケースが多い。